桜リビング株式会社
>
(賃貸)地域から探す
>
桜川市の賃貸物件
桜川市 物件一覧
- 茨城県桜川市エリア情報
- 【桜川市ってどんなところ?】
所在地:茨城県桜川市
面積:179.78㎡
人口:42,126人(平成31年16月1日現在桜川市ホームページより)
桜川市は首都圏から約70km 圏内、茨城県の中西部に位置しています。
北は栃木県(真岡市・益子町・茂木町)、東は笠間市・石岡市、西は筑西市・栃木県(真岡市)、南はつくば市と隣接しています。
北の高峯・富谷山、東の雨引山・加波山・足尾山から南の筑波山に連なる山々に囲まれた平野部のほぼ中央を桜川が南下し、市の南北軸を形成しています。その環境のもと、上野沼や大池、つくし湖など、多くの湖沼を有し、水資源の確保および親水空間として活用されています。
また、この地域で採れるみかげ石を利用した石材業や、平野部の肥沃な土地を利用した農業など、地域資源を活用した地場産業が息づいています。
【西の吉野、東の桜川】
古来より山桜の里として親しまれてきました当地の桜。平安時代の歌人 紀貫之が桜川について詠んだ歌が「古今和歌集」から40余年後に編まれた「後撰和歌集」に収録されています。「常よりも 春辺になれば桜川 波の花こそ 間なく寄すらめ」。現代語に訳すと「春になると桜の花びらが川面をおおって流れていく。少しの間も空くことなく、壮観な眺めだ。」といった意味になります。なんとも幻想的で、桜の儚い美しさに彩られた桃源郷のようなイメージを抱かれる名歌です。遥か千年の昔、桜の名所としての「桜川」の評判が、遠く平安京にまで知れ渡っていたという事実に驚かされます。そして、その名をさらに全国に広めたのは室町時代の世阿弥作「謡曲 桜川」です。
江戸時代には歴代将軍により、隅田川堤はじめ、現在の皇居や上野山、新宿御苑、小金井等の江戸各所に多くの苗木が移植されました。その数は推計でおよそ2万本にものぼるそうです。江戸の花見の名所づくりには、桜川の桜は欠かすことができない存在であったことがわかります。特に水戸黄門として有名な徳川光圀は、櫻川磯部稲村神社を度々社参、この地のサクラを大変気に入り、偕楽園前を流れる見川川(みかわがわ)のほとりに桜川の桜を移植し、その川を「桜川」と名付けてしまうほどでした。
明治に入ると、当市出身の俳人石倉翠葉(いしくらすいよう)や、日本植物学の創始者三好學(みよしまなぶ)博士による研究・出版活動により、再び脚光を浴びることになった桜川は、大正13年に国の名勝指定を受けるにいたりました。昭和49年には国の「天然記念物」に指定されています。
そして現在。画一的なソメイヨシノとは違い、一本ごとに色、形、匂い、開花時期までが異なる多彩な山桜が群生する桜川の景観は、その価値が広く見直されてきています。
※桜川市観光協会より抜粋
【真壁のひなまつり】
【有名スポット】
♪雨引観音♪
「一に安産、二に子育てよ、三に桜の楽法寺」と言われているように、茨城県桜川市の「雨引観音」は、安産子育祈願の寺として多くのみなさまが参拝しています。4月のマダラ鬼神祭、夏の紫陽花も有名です。
♪上野沼やすらぎの里♪
1年中楽しめるキャンプ場です。湖畔が近くにあり、ゆっくり散歩をしたり、釣りを楽しんだりできます。バーベキュー場も併設されているので、家族で楽しめるスポットです。
♪蔵のまち真壁♪
真壁の町割りは、戦国時代末期の真壁氏時代に形づくられ、江戸時代初期の浅野氏時代に完成したといわれています。枡形と呼ばれる城下町特有の交差点が現存し、その町割りの中に、蔵や門などの歴史的建造物が息づいています。平成22年6月29日には、この真壁地区が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。全国で87地区目、関東地方では4地区目、県内では初となります。※桜川市ホームページより抜粋
【桜川市の不動産状況】
田園のまち、山と緑に囲まれた豊かな環境に恵まれた桜川市には不動産情報も充実しています。
お住まい購入をご検討の方は、市の中心部で便利に暮らすスタイルや郊外で緑に囲まれた環境で暮らすスタイルなど自身のライフスタイルに合った生活が出来るのが特徴です。
お住まいを借りたい方は、市の中心部にアパート・マンションなどが多く、木造からRCマンションまでお客様のご希望に合った物件をご紹介できます。
初めてお住まいを探す方から、住み替えを考えている方まで、ご希望に合った住まいをご提案させていただきます。